学校ブログ
中央中いじめ防止基本方針をアップします
がんばってます中央中生
がんばっています。剣道部。朝の冷えた床を突き破る勢いで踏み込みます。
大雪の対応について
・明日(1/23 火)の登校を10:00とします。
・3校時からの授業を行います。1校時と2校時の授業をカットいたします。
以上、よろしくお願いします。
竜巻対応避難訓練実施
日頃からの備えを念頭に、災害から未然に身を守りましょう。!
順調な滑り出しです
まとめの三学期
新年おめでとうございます。
いよいよ三学期がスタートします。三学期は「まとめの学期」です。学習、運動、生活のすべてのまとめをし、さらに向上していきましょう。
支えてくれる人
校長 豊田 正一
2018年(平成30年)明けましておめでとうございます。
そして1月、睦月。「寒風に 負けじ魂 冴え光れ」。寒い日が続きますが、今が鍛えどころ。中央中の皆さんも目標に向かってこの寒い冬休み、それぞれ頑張っていました。
さて、新年早々から日本中を湧かせることが多くありました。
正月の風物詩ともなった箱根駅伝。青山学院大の4連勝は、誠に見事でした。 また、8日に決勝が行われた全国高校サッカー選手権大会、幾多の名勝負が繰り広げられました。
いずれも、本人の努力もさることながら、選手を支えてくれる人がいたからこそ、輝かしい活躍があったのでしょう。
支えてくれる人、といえば、今年2月に韓国で行われる冬季五輪、平昌(ピョンチャン)大会。 ジャンプ競技で8度目のオリンピック出場する葛西紀明選手。その偉業は、「自分を支えてくれる人があって成し得たものだった」と、本人も著書「家族で獲った銀メダル」の中で述べています。
前回の2014年ソチ五輪では7回目のオリンピック参加。最初の参加は、1992年のアルベールビル(フランス)大会。 それから22年後に、個人で初めて銀メダルを獲得!。
葛西選手がジャンプを始めたのは9歳、小学校3年の冬。それ以来、ずっと母親の幸子さんが葛西選手を応援し、競技人生を支えてくれた。
その母が48歳の若さで、長野五輪の前の年1997年5月10日に亡くなった。
母が葛西選手に書いた手紙がある。1995年1月、葛西選手が左の鎖骨を2回続けて骨折するという大ケガを負い、精神的にも追い詰められているときにもらった。妹の久美子さんが再生不良性貧血という重い病気で入院し、母がその看護の合間に書いたものだった。
「紀明へ 突然の手紙です。
前から書こうと思っていたのですが、妹の入院、休みは面会に行くとかで忙しく、紀明が外国に行く前にペンをとりました。
この1年以上、紀明にとって最悪。ケガ、妹は再び入院して、そんな中、どん底から這い上がって来た息子を頼もしく思っています。
これからもいろいろなことがあると思います。たとえどんなことがあったとしても、あんたは強い人間だから、負けるようなことはないと信じています。
外国に行っても精一杯頑張り、身体には気をつけて、春までは会えないかもしれませんね。
元気で。」
葛西選手は、いつもこの手紙をスーツケースにしのばせ、試合に向かった・・・。
翻って中央中の皆さん。皆さんを「支えてくれる人」のためにも、今年も目標に向かって全力で前進しましょう。保護者の皆様、地域の皆様、ご支援ご協力よろしくお願いいたします。
燃えよ!吉川中央中
三学期も継続した取り組みを実践していきましょう。
①集中した真剣な授業
②礼儀正しい生徒、元気でさわやかな挨拶
③全力で取り組む行事
④響く豊かな歌声
⑤美しく輝く学校
⑥やり切る部活動
「希望に溢れ、躍動感のある日々を」
・・・未来にはばたけ中央生・・・
二学期終業式
「資格がないと働けない」(2年進路学習会)
広島県矢野中マーチングバンド
第45回マーチングバンド全国大会〈マーチングバンド部門〉
中学生の部
広島市立矢野中学校吹奏楽部が本校にて練習を行いました。結果は銀賞でした。 |
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大切な食事
日々新たに
学ぶ姿は美しい(走り・書き・奏で)
中央中はいじめを絶対に許さない学校です
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ 「ならぬことはならぬものです」
ピカピカな床
さて、昼休みの校庭ではサッカー、バスケ、ドッジボール、鬼ごっこ、いろんな遊びをしています。教室に閉じこもらずに、どんどん外遊びをしよう。
体を動かし、汗をかきましょう。冬こそ汗を!
日々の授業
がんばれ!吉川中央中!
3年生保育実習
12月4日(月)今日の中央中
「心は見えなくても心づかいは見えます
思いは見えなくても思いやりは見えます
気づき、行動したあなたの素晴らしい行いは、こだまと
なって響きますここに感謝し、この賞を贈ります。」
学校生活の様々な場面で善い行いを称賛します。
12月1日 全校朝会 校長講話
感 謝
校長 豊田 正一
師走12月、平成29年(2017年)も1ヶ月で終わります。この1年間、中央中の皆さんは様々な方々にお世話になったと思います。本当に感謝の1年でした。
さて、感謝といえば、平成15年10月、心臓病を抱えた老紳士がイギリスから来日しました。元軍人で元外交官、サムエル・フォール氏84歳です。彼にはどうしても日本を訪れたい理由があったのです。
「自分が死ぬ前に、どうしても一言お礼を言いたかったのです」
それは、戦後の長きにおいて日本人の誰もが知らなかった、戦場の奇跡の物語でした。
太平洋戦争勃発の翌年、昭和17年(1942年)インドネシアのジャワ島沖で、イギリス等の連合艦隊は日本海軍に、連日猛攻撃を浴びた。当時23歳のフォール氏の乗る軍艦も日本海軍に包囲、撃沈され、乗組員は全員救命ボートで脱出。海には400人以上が漂流し、ボートにしがみつくのがやっとだった。
漂流から20時間が経過し、限界に達したその時、目の前に軍艦が現れた。フォール氏たちは声の限り叫び、助けを求めた。しかし、その軍艦は味方ではなく、日本の軍艦「雷(いかづち)」だった。
艦長の工藤俊作少佐は、400人以上の敵国イギリス兵が漂流しているのを確認した。いつ襲撃を受けるかもしれない海域で、敵兵を400人以上も救助収容しても、乗組員220名の「雷」では蜂起されたら抑えきれない。
しかし、工藤艦長は決断した。「敵兵を救助せよ!」
「敵とて人間。弱っている敵を助けずしてフェアな戦いはできない。それが武士道である」
イギリス兵は体力の限界を超え、自力で縄ばしごを上がれない。日本兵は海に飛び込み、イギリス兵にロープを巻きつけたりして全員救助した。甲板上では、イギリス兵の体を真水で洗い、さらに貴重な水や食料を惜しみなく与えた。
やがてイギリス兵達の前に工藤艦長が降りてきた。そして敬礼をし、英語で言った。
「諸君は勇敢に戦われた。諸君は日本海軍の名誉あるゲストである」...。
フォール氏は終戦後、イギリスに無事帰国し、外交官として勤め上げたが、工藤艦長への感謝の念をずっと忘れなかった。工藤艦長はすでに亡くなっていたが、多くの方の協力により墓所がわかった。
平成20年12月、再び来日したフォール氏は、埼玉県川口市の薬林寺を訪れた。そして、工藤艦長の墓前に献花し、手を合わせ、涙で言った。
「Thank you....」
保護者の皆様、地域の皆様、中央中は感謝を忘れない生徒を育てます。今後ともご支援ご協力よろしくお願いいたします。 燃えよ!吉川中央中
*詳しくは「学校だより」のサイトをご覧下さい。
「家族の一員」
小さな靴 高田 敏子
小さな靴が玄関においてある
満二歳になる英子の靴だ
忘れていったまま二ヶ月ほどが過ぎていて
英子の足にはもう合わない
子どもはそうして次々に
新しい靴に履きかえてゆく
おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
小さな靴はおいてある
花を飾るより ずっと明るい
今、一緒にいる時間が如何にかけがえのない時間であるか、しみじみと感じます。
「おはようございます」と「さようなら」
生徒を見守る新任の星康太先生
吉川市立中央中学校
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埼玉県吉川市中央二丁目21番地1
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FAX.048-982-0236