学校ブログ
日々の授業
がんばれ!吉川中央中!
3年生保育実習
12月4日(月)今日の中央中
「心は見えなくても心づかいは見えます
思いは見えなくても思いやりは見えます
気づき、行動したあなたの素晴らしい行いは、こだまと
なって響きますここに感謝し、この賞を贈ります。」
学校生活の様々な場面で善い行いを称賛します。
12月1日 全校朝会 校長講話
感 謝
校長 豊田 正一
師走12月、平成29年(2017年)も1ヶ月で終わります。この1年間、中央中の皆さんは様々な方々にお世話になったと思います。本当に感謝の1年でした。
さて、感謝といえば、平成15年10月、心臓病を抱えた老紳士がイギリスから来日しました。元軍人で元外交官、サムエル・フォール氏84歳です。彼にはどうしても日本を訪れたい理由があったのです。
「自分が死ぬ前に、どうしても一言お礼を言いたかったのです」
それは、戦後の長きにおいて日本人の誰もが知らなかった、戦場の奇跡の物語でした。
太平洋戦争勃発の翌年、昭和17年(1942年)インドネシアのジャワ島沖で、イギリス等の連合艦隊は日本海軍に、連日猛攻撃を浴びた。当時23歳のフォール氏の乗る軍艦も日本海軍に包囲、撃沈され、乗組員は全員救命ボートで脱出。海には400人以上が漂流し、ボートにしがみつくのがやっとだった。
漂流から20時間が経過し、限界に達したその時、目の前に軍艦が現れた。フォール氏たちは声の限り叫び、助けを求めた。しかし、その軍艦は味方ではなく、日本の軍艦「雷(いかづち)」だった。
艦長の工藤俊作少佐は、400人以上の敵国イギリス兵が漂流しているのを確認した。いつ襲撃を受けるかもしれない海域で、敵兵を400人以上も救助収容しても、乗組員220名の「雷」では蜂起されたら抑えきれない。
しかし、工藤艦長は決断した。「敵兵を救助せよ!」
「敵とて人間。弱っている敵を助けずしてフェアな戦いはできない。それが武士道である」
イギリス兵は体力の限界を超え、自力で縄ばしごを上がれない。日本兵は海に飛び込み、イギリス兵にロープを巻きつけたりして全員救助した。甲板上では、イギリス兵の体を真水で洗い、さらに貴重な水や食料を惜しみなく与えた。
やがてイギリス兵達の前に工藤艦長が降りてきた。そして敬礼をし、英語で言った。
「諸君は勇敢に戦われた。諸君は日本海軍の名誉あるゲストである」...。
フォール氏は終戦後、イギリスに無事帰国し、外交官として勤め上げたが、工藤艦長への感謝の念をずっと忘れなかった。工藤艦長はすでに亡くなっていたが、多くの方の協力により墓所がわかった。
平成20年12月、再び来日したフォール氏は、埼玉県川口市の薬林寺を訪れた。そして、工藤艦長の墓前に献花し、手を合わせ、涙で言った。
「Thank you....」
保護者の皆様、地域の皆様、中央中は感謝を忘れない生徒を育てます。今後ともご支援ご協力よろしくお願いいたします。 燃えよ!吉川中央中
*詳しくは「学校だより」のサイトをご覧下さい。
「家族の一員」
小さな靴 高田 敏子
小さな靴が玄関においてある
満二歳になる英子の靴だ
忘れていったまま二ヶ月ほどが過ぎていて
英子の足にはもう合わない
子どもはそうして次々に
新しい靴に履きかえてゆく
おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
小さな靴はおいてある
花を飾るより ずっと明るい
今、一緒にいる時間が如何にかけがえのない時間であるか、しみじみと感じます。
吉川市立中央中学校
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